メンタルの限界(40代・管理職)

自分のこれまでと、これからを残す

感覚の麻痺・感情に気づく

感覚の麻痺が和らいできた。感情が出始めた。感じる力が戻ってきたというより、新しく感じる力が生まれてきた気がする。

子供の頃、初めて自転車に乗れて『うれしい!』という感覚に近い(黒が私の日記、赤が妻の言葉)

  

⇒感覚を麻痺、感情を失くすことを癖にしていたのでは?感じる力が戻ってきたというより、感じてもいいんだと思えた気がする。失敗してもいいし、悪い面の感情を出すのも恥ではない。

 

今思うと休職前の自分の状態は、人の話は聞こうと努力していたが、何度も頭の中で聞いた話を復唱するも、相手は、何を言ってるのか理解できない状態になっていた。対処方法は、相手は、なんとなくこんなことを言っているのだろうと推測し、自分の持っているパターン化された言葉を返していた。新しい取り組みをしたとしても、考えることができず、すべてが機械的物事を進め、取り組みの目的を見失っていた。もちろん仕事の成果は上がらなかった。

  

⇒感情を抑えて動くことは、社会人として立派だし、旦那としても安心できた。機械的に物事を進めていたのは特に悪くはないと思う。取り組みの目的を見失っているのは問題の可能性がある。仕事の成果(数字)は達成させていたし成績は良かったところを見失っている。ただ、成果として実感を感じられていない部分が、仕事好きな旦那にはツライ気がする。

 

人間が本来持っている、感じる力、感情がなければ、相手の思いなど汲み取れない。

いつからか、自分の感覚を心の中で蓋をしてきていたようだ。

 

⇒感じる力、感情が強すぎて相手の思いを汲み取りすぎても仕事は成り立たないと思う。バランス感覚を必要とするために、感情を心の中で蓋している部分を改善して、適正なコミュニケーションをとれるようになるのは必要だと思う。

 

昨日妻と友人に夜の12時までファミリーレストランで協力してもらい、自分の感情がでてこないことについて話を聞いてもらっていた。あと仕事のこと、家庭環境のこと。

 

二人は、私の心の中に閉ざしていた感覚、それは、今までに嫌な思いをしたこととか、苦しかったこととか、悲しかったこととかを引っぱり出すための会話を投げてくれいた。途中私は、自分は仕事の能力が無いように感じてしまい、心の中のイライラが出てきて、正直話をするのが辛かったが、

 

ある瞬間に、

 

「自分の過去をはずかしめも含めて、出来なかったことも含めて、勇気を持って認める」感覚が出た。

過去の偉そうな自分を(人に対して守ってあげていた等)、偉そうなままにしたかった。偉そうなままに見せたかった。という感覚が出た。

 

その後、動き始めた心の中から言葉が出てきた。

 

ここに居て良かった。本当は誰かに認めて欲しかったんだ。そう感じ始めている。(今までは、一生懸命することがその場にいさせてもらえると捉えてた。自分が存在することが許されていた。

 

二人が目の前にいるにもかかわらず、涙が溢れそうになり、頑張ってとめた(笑)。

 

最近読んだ、山田 喜代春さんの心温まるイラストが入った、高垣 忠一郎さんの「自己肯定感って、なんやろう?」の中で書かれていた

 

そういう「借金」あればこそ、それを背負って一生懸命生きる。「そのおかげで、今の自分があるんやで」といえる自分になっていくこと。「借金」を「おかげさま」にすることですわ。この言葉と気持ちがリンクしていた。

 

妻と友人に感謝という嬉しい感情が出たことも気づいた。