メンタルの限界(40代・管理職)

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自分の性質 過保護にしてしまうことについての考察

■自分の性質 過保護にしてしまうことについての考察

今日読んだ『自己改革の心理学論理療法入門』の中で、子供を対象として論理療法の訓練する絵本が紹介されていた。姉と弟が一緒に遊んでいる時に起きた、小さい子供のけんかについての内容。

 

(以下本からの引用)

姉と弟は石けり遊びをしていた。お父さんは、昼寝。お母さんは読書、静かな午後。と、突然弟が大声で泣き叫びながら走ってきた。お母さんは本をとりおとし、お父さんはハンモックから落ちてしまった。姉のサンディーは笑いを浮かべて立っていた。

 

お父さん :『サンディー、一体どうしたんだい』

 

サンディー:『弟が何か言ったかと思うと急に走って行っちゃったの』

 

お父さん :『弟はどうしてあんなに泣いたのかな?』

 

サンディー:『それはたぶん彼が私に変なことを言うので、私が彼をぶん殴ってやったからよ』

 

お父さん :『・・』『その場面を再現してみよう。思い出す限り正確に初めから言ってごらん』

 

サンディー:『わかった』

 

お父さん :『いいかい、テレビの番組を再生するつもりになってやるんだよ』

 

サンディー:『2人で石けりをしていたのよね。そしたら彼がズルをして、「勝ったー」と言って、それから私に「ヤーイ」というもんだから、私は彼を引っぱたいたんだわ』

 

お父さん :『弟をひっぱたくときどんな気持ちがしたかい?』

 

サンディー:『別に考えるまでもなく引っ張っぱたいちゃったわ』

 

お父さん :『ひっぱたくときどんな気持ちだった?』

 

サンディー:『「バカめ!」と思っただけよ』

 

お父さん :『でもね腹が立ったとき、心の中で自分にどんな言葉を言ったのかな。よく思いだしてごらん』

 

サンディー:『彼はズルをして勝ったんだから、私に「ヤーイ」なんて言う権利はないと思ったわ』

 

お父さん :『弟をひっぱたく前に心に浮かんだ事はほかにもうないかい?』

 

サンディー:『うーん、彼はいつも自分の方が上手だと思っていることかな』

 

お父さん :『もうないかい?』

 

サンディー:『それで全部だわ』

 

お父さん :『わかった。そこでもう一度同じ場面で、君が何でもできるとしたらひっぱたく代わりに他にやりようはなかったかい?』

 

サンディー:『けっとばすことだってできたわよ』

 

お父さん :『でももっとほかのことができなかったか考えてごらん』

 

サンディー:『そうね、私は彼に「イーダ」と言い返すことだってできたわね』

 

お父さん :『うん、続けてごらん』

 

サンディー:『私はひっぱたかないで、誰かに言いつけることもできたわね。うんと、それに彼がズルをするんならもう二度とあんたと遊ばないからね、って言うこともできたわね。それだけだわ』

 

お父さん :『もしひっぱたかないで今言ったようにしていたらどうなっただろう?』

 

サンディー:『けっとばしたりしていたら今よりもっともめていたでしょうね』『もし私が「イーダ」と言えば彼もまた同じことを言い返したでしょうね』『そしてもし私が誰かに言いつけたら、かえって私が弟に対してみっともないって言われたでしょうね』

 

お父さん :『多分そうだろう。もう少し続けてごらん』

 

サンディー:『ズルをするなら二度と遊ばないわよと言ったとしたら、多分彼はもうズルをしなくなったかもね。だって彼は石蹴りが大好きだから』

 

ーそこへお母さんと弟が戻ってきたー

 

サンディ:『もしテレビの録画みたいにあの場面を再生できるのなら、私は「もうズルしちゃだめよ」と言えそうよ』

 

お父さん:サンディーをぐっと引き寄せて、『大好きだよ、サンディー』といった

 

サンディー:その時今度はサンディーが弟の所へ行って抱きしめて言った。『ぶったりしてごめんね。私もあなたのこと大好きよ』

 

 

 

他者を優先して考えていた癖、行動していた癖で、先回りをして答えを用意するなど、他者にとって過保護なことをしていたことに気づく。上記の会話は、お父さんが、問題を起こした姉に、人間らしい感情も認めながら、コミュ二ケーションのあり方を教えていた。

 

自分の場合は、『喧嘩はダメ。言い合いはダメ。関係を壊す』という信念・信条で生きてきたようだ。なぜそのような信念・信条になったのかを考えると、幼少時より『相手の機嫌を損ねてはダメ』『人に迷惑をかけてはいけない』と考えていたからと思われる。だから物分かりの良い人物になることと、相手が何を求めているのかを考えて、求めている答えを出そうとしてしまう癖がついていたようだ。

 

人間らしいという意味では、相手(この場合、姉のサンディー)にとって、きちんと反省できる、間違いを犯した時にでも他者に素直に謝ることができる。『喧嘩はダメ』だけの教え方だとサンディーにとって成長しないことがわかる。

 

別次元での話であるが、喧嘩・言い合いも、人間らしいコミュ二ケ−ションであると思える。